目次
ー手に取った理由ー
高校時代の読書感想文の題材だった本。
今ならどんなことを思うのだろうと思って読んでみた。
ーあらすじー
戦争の傷跡を残す大阪で、河の畔に住む少年と廓舟に暮らす姉弟との短い交友を描く太宰治賞受賞作。
ー著者ー
宮本輝
1947(昭和22)年、兵庫県神戸市生れ。追手門学院大学文学部卒業。
広告代理店勤務等を経て、1977年「泥の河」で太宰治賞を、翌年「螢川」で芥川賞を受賞。その後、結核のため二年ほどの療養生活を送るが、回復後、旺盛な執筆活動をすすめる。『道頓堀川』『錦繍』『青が散る』『流転の海』『優駿』(吉川英治文学賞)『約束の冬』『にぎやかな天地』『骸骨ビルの庭』等著書多数。
ー総評ー
~幼い主人公にとって異質なもの、別世界のものとの出会いを描いた作品~
周囲の人の突然の死や貧しさの中で生きていく人々が、作者が生きてきた時代目線で描かれている。
泥の川に住む「お化け鯉」という存在が曖昧な魚が、何か、えたいがしれないものをもたらす象徴として描かれている。
幼い主人公にとって異質なもの、別世界のものとの出会いを描いた作品だと思う。
~人は育ってきた環境で価値観が変わる~
主人公はうどん屋の息子で、喜一は今で言う準ホームレスみたいな家庭。船の中で生活していて場所を追われれば別の場所へと流れ住んでいるようだ。
ある場面で喜一が盗みを働いたり、小さな生き物を殺したりする姿が異様に映る描写をしている。
これの異様さが主人公と喜一の距離感を一気に大きくしている。
子ども同士だから親の出自が多少違っても仲良くなりやすいが、こうところで考え方の差異が出てしまうんだなと感じた。
主人公にとって、喜一のとった、えたいがしれない行動が「お化け鯉」に象徴されていると思う。
主人公や喜一を見ていると、自分が何を見てきたのか感じてきたのかで育ち方・考え方が大きく異なってくるのだなと実感した。
喜一は母親が風俗業のような職業をしているからその後ろめたさや悔しさでストレスを感じていて傍から見ると少し異常な行動をしていたのではないかと予想する。
でもそれは成長するにつれて直っていく可能性があるもので新しい価値観を提供してくれた主人公との出会いは喜一にとっては良いものだったのではないだろうか。
それとも自分と違って境遇が良い主人公の暮らしは妬みの対象となったのだろうか。周囲の人の心理はいくらでも想像できるのでこれはあくまで私の考え。
~人の死が身近な世界~
主人公の父親は戦争に行ってきて9死に1生を得て帰ってきたのだという。
父親にとって戦争は勝った負けたではなくて生きたか死んだかだったという。
確かにそうだと思う、自分はスーパーロボット大戦というシミュレーションゲームをやっていたが周囲の敵(ロボット)を倒していく。
そのとき敵キャラはやられたーなどいって爆発していくのだろうが、実際にそこで死んでいるのだ。
まあ、そんなこと考えていてはゲームができないのでそこまで深くは考えないが。
確かに雑兵としては勝負の勝ち負けなんかより早く生きて帰りたいと思うのは自然だと思う。
特に徴兵で兵隊に取られた人にとっては。
今の時代ではこんなリアルな話は中々聞けないだろう。
自分なんて兵隊に取られたら一瞬で殺されてしまう自信がある。
逃げようと画策してそれがばれて仲間に殺されてしまうかもしれない。
さらにここでせっかく生き残った人々がなんてことない日常の中であっけなく死んでいってしまう。
人間の生の儚さを感じた。
戦争の話も身近な人が比較的あっけなく死んでしまうという話も現代では考えられない話だ。
今よりももっと「生き死に」が身近にあった時代。
生きているだけで良かったと思える時代だったのだ。
自分も生きているだけで幸せなんだなーと再度実感した。

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~土佐堀川~
舞台の近くに土佐堀川が流れている。
土佐堀川といえば連続テレビドラマ小説「あさが来た」の原案小説だ。
この作品は戦後日本の復興とともに成長していく商人を描いた作品だが、小説「土佐堀川」は倒幕・明治維新から1919年くらいまでの時代の話で、第2次世界大戦後を描いた泥の川よりも古い時代を描いた小説。
時代は違うが同じ川の側で起こる話なのに雰囲気が全然違うのなのだなぁと思った。
ーまとめー
作者の幼少期の経験を絡めて書いた作品。
少年が異質なモノ・別世界のモノと触れるという経験を泥の川を泳ぐ「お化け鯉」と結びつけて描いた作品。
現代とは異なる、戦後を生きる人々の生活や感性が描写されている。
同本掲載の「螢川」についての感想もよかったら読んでください。