MOMENT/本多孝好を読んで~人は自分の生きた証を残したい~

―手に取った理由―

昔購入していた本。

私も少し前に病院にお世話になった(入院していた)ことがあり読んでみようと思いました。

1作目MOMENT

2作目WILL

3作目MEMORY

と、関連作がある。

本作は1作目

―あらすじ―

死ぬ前にひとつ願いが叶うとしたら…。病院でバイトをする大学生の「僕」。ある末期患者の願いを叶えた事から、彼の元には患者たちの最後の願いが寄せられるようになる。恋心、家族への愛、死に対する恐怖、そして癒えることのない深い悲しみ。願いに込められた命の真実に彼の心は揺れ動く。ひとは人生の終わりに誰を想い、何を願うのか。そこにある小さいけれど確かな希望―。静かに胸を打つ物語。(本書より引用)

短編4つで構成されている。

短編は時系列順に並べられており、主人公が末期患者の願いを叶えるようになってから病院を離れるまでを描いている。

依頼内容に込められた意味は人それぞれ違っていて、必ずしも以下に書く依頼内容が患者の本心というわけではない。その裏に患者の事情や裏の考えがあるものも含まれる。

どのような意図が込められているか、結末はどうなるのか。

実際に読んで確かめてほしい。

以下、各章と依頼概要

~FACE~

依頼:戦時中自分(70歳以上男性)が殺した兵隊の子孫の動向を探ってほしい

~WISH~

依頼:自分(14歳少女)の初恋?の相手を探してほしい

~FIREFRY~

依頼:自分(30代女性)とデートしてほしい

~MOMENT~

依頼:自分(50代男性)を殺してほしい

―著者―

本多 孝好(ほんだ たかよし)

1971年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1994年、「眠りの海」で第十六回小説推理新人賞を受賞し、作家デビューする(本書より引用)

慶応卒で作家か…早稲田卒の朝井リョウを少し思い出した。

彼の作品では「何者」だけ読んだことがある。

朝井リョウは私と同年代の作家なのだが、個人的には作中の人物の情報リテラシーの低さが目についた。

今どきの若者はこういうのが普通なのかな。

少なくとも私の周りはそんなことなかったが…

若者の自己顕示欲をうまく表現した作品だなと思った。

―全体を通して―

~人は自分の生きた証を残したい~

この本は決して相手に感動を押し付けるような話ではない。

「こうするべき」と「こうあるべき」というような押しつけもない。

人それぞれの死生観を淡々と描いてく。

4つの短編すべて毛色は異なるが、共通するのは、末期患者である依頼者達は「自分の生きた証を残したい」と思っていることだ。

私自分も一歩間違えば死ぬという事故にあったことがある。

その時私自身も自分が死んだことで周囲の人に何か影響を与えられたらなと思った。

そういう意味では本書で描かれている末期患者たちの気持ちは分からなくはない。

しかし、私の感じた死は事故で即死するという種類ものだ。

じわじわと自分が死に近づいてく恐怖は計り知れないだろう。

対照的に依頼者以外の末期患者の中には苦しむことなく早く死にたいと思っている人も描かれている。

愛する人がいる今の世界を捨てて死後の世界に旅立ちたいと考える人々だ。

愛する人がいないとすれば思い残すことは何もないかもしれない。

早く死にたいと思っている人にも色々事情があるだろうが主題となった4人の末期患者以外は個々人の事情について深く触れられていない。

事情は分からないが、楽に死にたい気持ちは分からなくはない。

私ももしできるなら、緩やかに老衰で死にたいと思う。

この作品は「安楽死」についても踏み込んで描いている。

SilasCamargo / Pixabay

―感想-

~異端の主人公と末期患者~

主人公はひょんなことから末期患者の願いを叶えるために奔走することになる。

なぜ主人公はこんなことをするのか、その部分を自分なりに考えてみた。

主人公は大学4年、周囲は将来の就職を考えて行動している。

その中で主人公は就職活動もせずに病院のバイトにいそしむ。

将来にこれといった展望もない。

主人公の幼馴染が主人公にいうセリフがある。

どこへ逃げようと一緒じゃねえのか?お前が折り合えないのは、この時代でも今の社会でもなくてお前自身だろ?世界に羽ばたこうが、宇宙へ飛んでいこうがお前はお前だ。そう簡単に折り合えるってもんでもないだろう(本書より引用)

主人公は要領もよく頭もよいはずなのに自分で自分を認められない。

自分に価値があると信じることができないのではないだろうか。

自分自身に折り合いがつかないが故に社会にも馴染めていないのだと思う。

言ってみれば主人公も社会に馴染めない異端者だ。

同時に末期患者も近いうちに死にゆく運命ということで社会的にみれば特殊な立場だ。

特殊な立場に立つ主人公は同様に社会的に特殊な立場に立つ患者の気持ちになんとなく親近感を持ったのではないのだろうか。

願いを聞く理由は同情ではなく、ほんの気まぐれと好奇心のようなものだと思う。

~人は関係性の中で生きている。私が見つけた生きる意味~

人間は一人では生きていけない。

人間は関係性があるから生きていけるのだと思う。

でも、人間が生きていくって、そういうことでしょう?その人が生きていなければ、僕だってその人と知り合うこともなかったし、その人と喋ることもなかったし、その人に好意的な感情を持つこともなかった。生きていれば自分の知らないところで、自分に対する好意とか悪意とか、そういうものが生まれていく。だったら、僕の好意的な感情について、その人が生きていたことにも責任の一端がある。責任の話をするのなら、そっちのほうでしょう。自分の勝手な事情で、自分で勝手に死にたいのならすべての人の同意を取り付けるべきです。(本文より引用)

少し関連が薄いかもしれないがこの文章を読んで私は自分が考えた「生きる意味」を思い出した。

私は病院で入院しているとき「死んだほうがいいのだろうか」と悩んでいた時があった。

その時考えに考えて、自分なりに出した答えは

  • 自分には価値があり、今後も価値を高めていける可能性がある。だから生きる
  • 他人が自分に持つ関心は良い・悪いを問わず自分の価値として計上できる。しかし、将来的には良い関心を多く持ってもらえるよう努める。

というものだった。

私は人間の生きている価値がもし測定できるのだとすれば、指標となるのは他人に与える影響の度合いによると思っている。

誰かと人間関係がある限り、他の人が自分を覚えていてくれる限りその人に存在価値はあるのだ。

更に、他の人と知り合いになったり、自分の意見を他の人に知ってもらうことにより他人の自分に対する関心は増えていき自分の価値は高まっていく。

たとえ自分への関心が嫌悪感だったり憎しみだとしても、他人が自分に関心をもつということ、つまり自分のために相手が時間を割いてくれていること自体は感謝すべきことである。

結果として嫌悪感や憎しみも自分の価値を高めることにつながっているのだ。

しかし悪い意味での関心を持たれ続けることは、客観的に見ていいことではないし、自身もいい気分ではない。

悪い関心を持たれることに必要以上に落ち込む必要はないが、長期的には良い関心を持ってもらえるように、よい影響を与えられるように努力をすべきである。

そのほうがお互いのためになるだろう。

そう考えると自分は生きている限りほぼ確実に価値を高められる。

自分の価値を高めることができるチャンス放棄するのはひどく損なことのように思えてきた。

同時に今まで自分に関心を持ってくれた人全てに感謝の気持ちを感じるようになった。

すると、自分の中に生きていく希望が湧いてきた。自分の内側から聞こえる「死ね」という呼びかけに対抗できるようになった。

今ブログを書いて自分の考えを発信しているのも、自分の価値を高めたい、人に影響を与えたいという思いがあるからだ。

私の考えた生きる意味から考えれば善悪に関係なく全ての人間に存在価値はあるのだと思う。

生きている限り他人から良い印象を勝ち取り積み上げるチャンスはある。

問題はこれまでどうしたかではなくこれからどうするかである。

―まとめ―

人間の死生観はひとそれぞれ。

でも人は「自分の生きた証を残したい」と思う。

人間は他人との関係で生きている。

他人との関係が生きる力になる。

1作目MOMENT

2作目WILL

3作目MEMORY

と、関連作がある。

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