学問のすすめ/福沢諭吉 訳:齋藤孝を読んで~一度は読んで欲しい名著~

―手に取った理由―

以前読んでおすすめしたいと思ったためです。
再読しました。

―概要―

近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉の大ベストセラー『学問のすすめ』。本書は歯切れのよい原書のリズムをいかしつつ、文語を口語に移した現代語訳である。国家と個人の関係を見つめ、世のために働くことで自分自身も充実する生き方を示した彼の言葉は、全く色あせないばかりか、今の時代にこそ響く。読めば時代情勢を的確に見極め、今すべきことを客観的に判断する力がつく。現代にいかすためのポイントを押さえた解説つき。(本書より引用)

学問の必要性や、現在(明治時代)をどのように考え、生きるべきかを分かりやすく記した本。

―著者―

福沢 諭吉(ふくざわ ゆきち)

1835(天保5)~1901(明治34)年。中津藩士、著述家、教育者、啓蒙思想家、「時事新報」の発行人。慶應義塾の創設に力を尽くした(本書より引用)

―訳者―

齋藤 孝(さいとう たかし)

1960(昭和35)年生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、明治大学文学部教授。専攻は教育学、身体論、コミュニケーション技法(本書より引用)

―全体を通して―

~すべての人に一度は読んで欲しい~

国家と個人の関係や、道理に基づいた考え方は何かということについて分かりやすく書かれている。
私は価値観を形成するためには、本来人間はどのような価値観を持つべきなのかを知っておく必要があると思う。
道理に基づいた福沢さんの考え方は王道ともいうべきもので、自分の価値観や考え方を構成するためにも一度は触れておいたほうが良いと思う。
国家が国民の信任に基づくという非常に基本的な考え方から、当時は主流ではなかった女性の尊厳の話であったり、赤穂浪士への批判などの独自の考え方まで幅広く展開している。

独自の意見といっても決して馬鹿にできるものではなく道理に沿って考えを展開している。
齋藤さんの訳の素晴らしさも手伝って非常に分かりやすい内容となっている。
末尾の解説もわかりやすく本書の理解を深めることができる。

―感想ー

~実学をやるべきであるが研究も重要~

一生懸命にやるべきは、普通の生活に役に立つ実学である。(p11)

福沢さんの考えが端的に述べられている。

小説土佐堀川でもこの一節に触れている

一般の人は学問をやるのは就職のためという目的が強いから実学を学ぶ人が多い。

この本は一般国民に向けて書かれた本だから問題ない。

確かに研究者においても経済に役立つ研究の方が研究費が降りやすくなっているため、実学が評価される傾向にあると思う。

しかし、研究に限っては実学でないものも重視する必要があると思う。

例えば世の中の原子の構成がどうなっているのかを探る物理学では、すぐには成果がでなくても原子の成り立ちの根本を調べていく過程での発見が何に役に立つか分からない。

もしかしたら原子の成り立ちをどんどん細かく見ていけば原子の違いは人間の手で置き換えられるものであるかもしれない。

うまくいけば鉄から金が作れるということも可能になるのかもしれないのである。

私は一般人に属する方なので生活に役立つことをやって生計を立てるべきだ。

今は、いままで積み上げてきた成果と周囲の人々の助けのおかげで何とか飯を食えているため本を読んでいる時間が長い。

しかし、本書では本を読んで知識をため込むだけではダメと述べられている。

そもそも、勇気というものは、ただ読書して得られるものではない。読書は学問の技術であって、学問は物事をなすための技術にすぎない。実地で事に当たる経験を持たなければ、勇気は決して生まれない(p74)

耳が痛い。
福沢さんの言う実学からは離れているかもしれないが、自分の考えを公開することにより世の中の誰かに影響を与えられるかもしれない。

ということでやらないよりはマシということで、これからもこのブログで読んだ本の内容のアウトプットをしていこうと思う。

geralt / Pixabay

~学問ができる環境は恵まれていると思う~

このようなバカ者は、とても道理をもっては扱えない。不本意ではあるけれども、力でおどし、一時の大きな害をふせぐほかにやり方がないということになってしまう。これが世の中に暴力的な政府がある理由である。我が国の旧幕府だけでなく、アジア諸国はむかしからそうであった。(P32)

確かにその国の人が決まりを守らない(まっとうな生活の方法をしらない)ならば人々は一部の頭の良い人に振り回されるし、厳しい決まりによって統治されるだろう。

しかし、決まりを守らないで生きている人たちの子供が勉強して、まっとうな生活をするようになるだろうか、結局親が勉強していないので、勉強の重要性が分からず勉強する環境を子供に与えないのではないだろうか、そのため国民が賢くならず国の統制も厳しいままという悪循環が続くのではないだろうか。

現代ではこの悪循環を断ち切るための方法が必要とされていると思う。

私たちや明治時代の日本人は、少なくとも字が読めるから「学問のすすめ」を読むことができる(当時70万部売れたらしい)。

だから、子供に勉強させようと思えるし、子供は勉強をする環境を与えてもらえる。

字も読めない人が多い国ではそうはいかなかっただろう。

やはり恵まれた日本だからこそ勉強の必要性を説明できるし皆が内容に納得したのではないかと思う。

~福沢さんなら太平洋戦争を支持しただろうか~

「天理人道(天が定めた自由平等の原理)」にしたがって交わり、合理性があるならばアフリカの黒人奴隷の意見もきちんと聞き、道理のためにはイギリスやアメリカの軍艦を恐れることもない。国がはずかしめられるときには、日本国中のみなが命を投げ出しても国の威厳を保とうとする。これが一国の自由独立ということなのだ。(本書より引用)

これだけを読んで、これは太平洋戦争での特攻などを支持することになるのかと思った。
しかし、よくよく考えれば太平洋戦争の根本原因は満州を周囲の反対を押し切って独立させたことだと思う。
日本側から見れば色々やむをえない事情もあったとは思うが、それほど歴史に詳しくないので私にはこれ以上突っ込んで話せない。
もし、その時代で福沢さんが生きていれば行動をとったのだろうか。

また、本書のその後の文でアヘン戦争に敗れた中国のことを自分の身の程を知らないとして批判している。
道理だけではなく冷静な状況分析も必要だと言っているのである。
冷静に物事を分析できる福沢さんは戦争を起こすことには賛同しなかったのではなかろうか。

一方で戦争末期に国のために多くの人が特攻を仕掛けたおかげでアメリカは日本人を恐れ、占領時に強烈な締め付けや尊厳を地に落とすというようなことをしなかったと聞いている。

国がはずかしめられるときには、日本国中のみなが命を投げ出しても国の威厳を保とうとする。これが一国の自由独立ということなのだ。(本書より引用)

日本人のその行動が正しかったのかどうかは分からないが、図らずも学問のすすめの一節に沿った行動をした結果として日本は救われることになった。

ArmyAmber / Pixabay

~江戸時代には偉人がほとんどいない~

福沢さんの江戸時代に対する批判は厳しい。
確かに江戸時代は平和ではあったが抑圧の強い時代だったのだろう。
思えば私は、江戸時代に一般庶民から出た偉人を私はしらない。
せいぜい江戸幕府の老中だったり将軍だったりと学者が数人だ。
それとは逆に、幕末になると偉人が大量に出現する。
やはり江戸幕府の政治は民を押さえつける政治だったため新しい意見や考え方が生まれにくかったのだなと思う。
逆に言うと江戸幕府はそれがうまかったからこそ250年以上平和に国を治めることができたのだろう。
それはそれですごいことだ。

同時に福沢さんがこのような思想を持ち、世に表現できた、加えて世の人々に支持されたのは時代のおかげということも言えるだろう。
「もしも」を考えたらキリがないが、江戸時代中期に福沢諭吉が生まれていたらこんな思想を持たないだろうし持っていたとしても幕府に罰せられて時代から忘れ去られていただろう。
そういう意味では福沢諭吉は幸運だったのだなと思う。

~法律を守ることの意味~

たとえばいま、道路で小便をするのは政府が禁じている。しかし、人民はこの禁止令が尊いことを知らないで、ただ警官を恐れているだけである。日暮れなど警官がいないのを見計らって法を破ろうとし、見つかってしまうことがあれば、その罪に服すとはいえ、本人の心の中では、尊い国宝を破ったから罰せられたのだ、とは思わず、ただおそろしい警官にあってしまったことが今日の不幸だった、と思うだけなのだ。実に嘆かわしいことである。(P86)

法律は国民が統治を依頼した国が定めたものだ。つまり国民が認めたものであるということだ。
だから守ることが義務なのだ。
と述べている。
厳しいこと言うなーとは思うが、同様に厳しく言わせてもらえば私は少し違う。
私は、国民はなぜその法律が定められたのかを意識する必要があると思う。
法律がなんのためにあるのかということを意識すれば、法律を破ったらなぜ困るかということもわかる。
今回の町中で小便禁止だったら、町中でみんなが小便したら汚くて困るから禁止されたのだろう。
私も法律を少しだけ勉強したことがあるけれども、事件ごとに見れば判決が理不尽かもしれないが、法律のできた背景を知ると「なるほどな」と納得できることがある。
その法律に従うことが道理に合わないときこそ、納得できない点を指摘して法律の改正を迫るべきだと思う。
本書でも、やむを得なく法律にしたがった(アメリカ人教師を雇いたかったが法律で禁止されていたため諦めた)と書かれている部分があるが、法律があるから諦めるのではなく、法律の趣旨と照らし合わせて、やろうとしたことが正しいかどうかを判断すべきだったと思う。
当時の人には法律が決められた理由は一目瞭然だったのだろうか。
納得できなかったら納得できるまで戦ったというエピソードがあればなお面白かったと思います。

といってもあくまで私なりの正論であって、私はそんなことしない
そこまでして我を通すよりも法律に従うことを選ぶ。
大抵の法律の趣旨は納得できる気がするし、法律を作る官僚は私より明らかに頭がいいので大抵間違ってないと思う。

jessica45 / Pixabay

~判断力を身につけることこそが勉強する意味~

福沢さんは海外のことも批判的な部分があると指摘している。
文明開化の時代、新しい便利なものがドンドン入ってきて西洋と日本の差を見せつけられているなかで海外にも批判する部分があると考えていたのだ。

たとえば西洋人は鼻をかむときチリ紙でかんで捨てるが、日本はハンカチで鼻をかんで、その後ハンカチは洗って再利用する。
西洋に心酔した人は、「資源がたくさんあるからチリ紙を使うが日本人は資源がないから汚いのを我慢してハンカチを使う。」と言う。
きっとこの人は、西洋人がハンカチを使って、日本人がチリ紙を使っていたら逆の理屈を言うだろう。

西洋諸国の人民が今日の文明に達した原因もすべて「疑うこと」というこの一点からでているのだ(p191)

信じる、疑うということについては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか(p193)

後世、孔子を学ぶ者は、当時の時代状況を考え合わせて、その教えを取捨選択しなくてはいけない。二千年目の教えをそのまま引き写しにして、明治の時代に実行しようとする者などは、話にならない。(P169)

このように雑然とした混乱の中にあって、東西の事物をよく比較して、信ずべきことを信じ、疑うべきことを疑い、取るべきところを取り、捨てるべきところを捨て、それをきちんと判断するというのはなんとも難しいことである。そして、いまこの仕事を任せられるのは、ほかでもない、唯一われわれのように学問をするものだけなのだ。学問をする者はがんばらなくてはならない。(P203)

疑うことが進歩につながり、なにが良くて何が間違っているかを判断する力が学問である。
疑うことは今も変わらず学問の進歩に必要である。
同時に学問をして判断力を養うことは今の私たちの社会でも役だつのではないだろうか。
インターネットには正しい情報と間違っている情報が溢れている。
正しい情報かどうかを判断する基準としては、例えば複数の情報源があるのか、またはこの情報を発信している人は信頼できる人なのだろうかということが挙げられる。
営業がモノを売ろうとしてきても本当に営業の人の話が正しいのか、データの根拠は正しいのかをきちんと判断できれば自分に不要なものを買うことも減るだろう。
このような判断する力を勉強する中で養っていくのだ。
テレビですらネット上の間違った情報に踊らされる時代だ。

判断力を身につけることこそが勉強する意味だというのは今の時代でもいえる。
そして判断に基づいて行動を起こすことが重要だ。
本書では、学問はあくまで手段であり行動することが大切だと説いている。

あと、「がんばらなくてはならない」という語感が好き。なんとなく可愛らしい印象を受ける。

SplitShire / Pixabay

~人との交際こそが重要~

福沢さんの批判は彼なりの道理に立っていて今までの常識や一般的に正しいと思われていることすら批判していく。
それが屁理屈ではなく確かにそうだなと納得できるところが面白い。

孔子は、「立派な人間は、他人が自分のことを評価してくれないと嘆くのではなく、自分が優れた他人を評価しそこなっているのではないかということを気にかけなければならない」と言った。(P221)

私はこれを見て「いいこと言うなー」と思った。
しかし、福沢さんはこれによって学問をする人は卑屈になっていると批判している。
福沢さんは明るい人だと感じた。
確かに孔子の話に従えば謙虚な人になるかもしれないが周囲との交際には適していない。
逆に言うと学問をやる人の中の卑屈な人に逃げ道を与えないという厳しさがある。

本書の最後でこんなことも言っている

人間のくせに人間を毛嫌いするのはよろしくない(p230)

正論すぎる。
これから勉強をする人は自分の得た知識を他の人と分かち合うこと・他の人の知を分けてもらうことに楽しみを見出して欲しい。
知識や知恵は表現してこそ、アウトプットしてこそ世の中に影響を与えるのだから。

私は…というと卑屈な人であることに加えて学問もいまいち(研究者とか企業でバリバリ働いている人に比べてってはなし。簡単な高校の問題程度なら教えられますよ)。
改善点はたくさんあるなー
もう治せないかもなー
私みたいな人に成長するリスクを下げるためにも、「学問のすすめ」はこれからを担う若い人にこそ読んで欲しいと思うのだ。

SCY / Pixabay

―まとめ―

福沢さんが考える原理原則が分かりやすく書かれている
実用書でここまで基本的なことを分かりやすく教えてくれる本は他にないのではないかと思う。
全ての人に一生に1度は読んでもらいたい本だ。
特に若い人に読んで欲しい。
若いうちに福沢さんの価値観に触れて自分なりの価値観を育んで欲しい。

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