白夜行/東野圭吾を読んで~人は自分の本質から逃れられない~

―手に取った理由―

以前読んで

紹介したいと思い再読しました。

映画化もドラマ化もされた作品。

続編に幻夜がある

個人的には今まで読んだ東野圭吾さんの作品の中では一番の傑作だと思う。

―あらすじー

1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々に浮かぶが、結局、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と、「容疑者」の娘・西本雪穂―暗い眼をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別々の道を歩んで行く。二人の周囲に見え隠れする、幾つもの恐るべき犯罪。だが、何も「証拠」はない。そして十九年…。息詰まる精緻な構成と、叙事詩的スケール。心を失った人間の悲劇を描く、傑作ミステリー長篇。(本書より引用)

このあらすじに全てが詰まっていると思う。

傑作と銘打つのも分かる出来。

―著者―

東野圭吾(ひがしの けいご)

1958年大阪市生。大阪府立大学電気工学科卒。エンジニアとして勤務しながら小説を書き、85年、「放課後」で第31回江戸川乱歩賞を受賞、その後執筆に専念。99年、「秘密」で第52回日本推理作家協会賞を受賞(本書より引用)

Free-Photos / Pixabay

―全体を通して―

~人は自分の本質から逃れられない~

突然だが、私には好きな映画がある。

クライング・ゲームという作品だ。

同性愛の描写があるので嫌いな人は嫌いだが受け入れられるなら見て欲しい。

その中で作品のテーマを貫くとも言えるサソリとカエルのショートストリーがある。

「ある時、サソリが川を渡ろうとして、カエルに渡してくれるよう頼んだ。カエルは『だめだ。君を背負ったところで僕は君に刺されて死んでしまう』と断った。サソリは言い返す。『何て理屈の通らない言い草だ。君が死んだら、俺まで溺れてしまうだろう』そう言われてカエルは納得し、サソリを背負って川を渡り始めた。ところが川の真ん中で、カエルは背中に痛みを感じ刺されたことを知った。『理屈だって!』サソリと共に沈みながら、カエルは叫ぶ。『理屈も何もないじゃないか!』するとサソリは言った。『分かってはいるけれどやめられない。それが俺の性(さが)なんだ…』」”(クライング・ゲーム wikipediaより引用)

私は白夜行を読んでこのクライング・ゲームの話を思い出した。

桐原亮司も西本雪穂も自身の性(さが)から逃れられなかったのではないか。

普通の人なら一度罪を犯したら、生活に困っていなければそれ以上は罪を犯さないようにしようと思うはずだ。

人生がある程度順調に進んだら、後はその流れに従って「そこそこの生活」に満足して生きていくのも手だろう。

しかし2人は違う。

自分の人生をより有利に進めるために多くのものを利用していく。

これは2人の人間性が他人を利用することに罪悪感がないという性質のものだったためだろう。

育った環境によって2人の人間性は歪められてしまったのだ。

人生にはいろんな落とし穴があって、2人は幼くしてその落とし穴に落ちてしまったのだ。

そういうやり方が相手の魂を奪う手っ取り早い方法やと信じてるからです(本書より引用)

刑事が、「もっと早くに芽を摘んでおくべきだった」と述べる部分があるが、その通りだと思う。

2人は犯罪を犯しながら、他人を利用しながらでしか生きていけない人間なのだからもっと早い段階で2人を捕まえておくべきだった。

早い段階で裁かれた方が、結果として雪穂と桐原は幸せだったかもしれない。

桐原亮司と西村雪穂を軸に話が進められているが、自分の生い立ちや主観を話すことはほとんどない。

全てが、2人の周りの人々の目線で話が進んでいく。

彼らが心証を述べた数少ない部分を引用しておきたい。

俺の人生は、白夜の中を歩いているようなものやからな(本書より引用)

あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから。太陽ほどは明るくはないけれど、あたしには十分だった。あたしはその光によって、夜を昼と思って生きてくることができたの。わかるわね。あたしには最初から太陽なんかなかった。だから失う恐怖もないの(本書より引用)

本書は850ページと長いが桐原亮司と西原雪穂の2人の人生と本質を、時間をかけて描いているだけで、多くを語る必要はない。

しかし、最後まで読むと、自然に2人の人生を思い返す。

そして、2人は幸せだったのだろうかと深く考えさせられる。

―感想―

~解説でも絶賛~

馳星周さんの解説でも「傑作」と評されている。解説で傑作と評される本を私はこれ以外読んだことがない。

~二人はお互いにとっての光であり2人で1人の生命だった~

お互いがお互いのことを白夜の中の太陽だと思っていたのではないだろうか。

桐原亮司と西原雪穂の2人とも自分の人生は白夜のようだと述べている。

雪穂にとって桐原が白夜の中の太陽であるように、桐原にとっても雪穂は白夜の中の太陽であったのだ。

白夜行では桐原が裏社会を、雪穂が表社会を生きるように役割分担している。

しかし、裏社会に生きる桐原だけが損をしているわけではない。

間違いなく共利共栄であったのだ。

雪穂は桐原なしでは生きられないし、桐原も雪穂なしでは生きていけない。

だが最後の場面での桐原の行動は雪穂のためであったように見える。

しかしこれは雪穂のためでなく自分が雪穂と一心同体だと考えたときにどう行動するのが一番効果的かを冷静に考えた結果だと思う。

桐原が雪穂を守ったのは自分と雪穂の二人ではなく雪穂一人の方がこれから生き残っていく可能性が高かったからだと考えたのではないだろうか。

汚れ役を引き受けた桐原が消えれば桐原と雪穂という一心同体の、2人で築き上げてきた生物は生き残れる。

雪穂は桐原の意思を受け止めたからこそ最後に振り返らなかったのだ。

少しネタバレしちゃいましたかね。

~雪穂は自分の生き方満足していたのだろうか~

雪穂は自分の人生を白夜の中を歩いているようだと話した。

では、雪穂は昼の世界を歩きたいと思っていたのだろうか。

私は、違うと思う。

雪穂は自分を受け入れ自分は白夜の中を歩いている。

同時に自分は白夜の中しか歩けないということを自覚していたのではないだろうか。

昼の世界を歩きたいと思ったら本書の中のどこかのタイミングでためらったり躊躇したりしたかもしれない。

桐原の存在がそれを許さなかった可能性もある。

しかし、私は雪穂は白夜の中を歩いていくことを自ら進んで選んでいる。

白夜の中を歩くことを選ばざるを得ないということを理解していると思うのだ。

不満はあるが仕方ないと、自分の生き方を受け入れているのではないだろうか。

―まとめ―

桐原亮司と西原雪穂の行動を客観的に見ながら真実に迫る話。

2人の人間の白夜の中を歩くような人生を描いている。

全体的に暗い話であるために読む人は選ぶかもしれない。

少し長いがぜひ読んで欲しい本。

続編に幻夜がある

映画とドラマのあらすじを読んでみたが、それぞれ内容が異なる。

両方とも異なる解釈で物語を掘り下げている。

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