正義のミカタ/本多孝好を読んで~絶対的な正義は存在しない~

―手に取った理由―

以前に本多考好さんのWILLとMOMENTを読んだので

同一作者の作品を読んでみようと思いました。

―あらすじー

僕、蓮見亮太18歳。高校時代まで筋金入りのいじめられっ子。一念発起して大学を受験し、やっと通称スカ大に合格。晴れてキャンパスライフを満喫できるはずが、いじめの主犯まで入学していた。ひょんなことから「正義の味方研究部」に入部。僕は、元いじめられっ子のプライドに賭けて、事件に関わっていく。かっこ悪くたっていい、自分らしく生きたい。そう願う、すべての人に贈る傑作青春小説。(本書より引用)

主人公の亮太が様々な人に出会い自分の生き方を見つける話。

主人公がどう生きていきたいのか、はっきりとした結論は出ない。

―著者―

本多孝好(ほんだ たかよし)

1971年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。94年、「眠りの海」で第16回小説推理新人賞を受賞し、作家デビューする(本書より引用)

―全体を通して―

~絶対的な正義は存在しない~

正義とはなんだろう、正義というのは言うのは簡単だが行うのは難しい。

私はこの世に絶対的な正義なんてないと思っている。

正義とは自分が納得できるかどうかの物差しでしかない。

下手をしたら正義を振りかざした瞬間に暴力となると思う。

自分が正しい、だから自分のやっていることは正義だ。

しかし、これは一歩間違えれば

自分が正義だ、だから正しい。

にすり替わってしまう。

自分の行動で周囲が傷つくことに無関心になってしまう。

正義を振りかざして周囲に干渉するのは本当に難しいことだと思う。

だからこそ人類が何千年もかけて築いてきた法があるのだと思う。

そもそも自分が正しいとなぜ胸を張って言えるのか、それはあなたにとって正しいだけで他の人から見れば悪かもしれない。

本書の前半で正義の味方研究部の活動が描かれているが、依頼人が嘘をついている可能性や誇張して話をしている可能性だってある。

本当に平等に人を裁けているのか。

結局正義の味方研究部がしたいことは、あいつのやっていることは気に食わない。

懲らしめてやろう。

という一種の自己満足なのではないだろうか。

正義を考え、正しくあろうとする努力をしていることは分かる。

でも、正義を語り他人に干渉した時点でそれは自己満足であることを知っておかなければならない。

真の正義の味方がいるのだとしたら、その人は罰せられた側の立場にたって涙しないといけない。

常に自分が本当に正しいのか問い続けなければならない。

真の正義の味方は絶対に幸せになれないし絶対に報われない。

真の正義の味方は自分が正義の味方でないことを誰よりも自覚しているであろう。

そうすると、誰もが認める本当の正義の味方は存在しないことになる。

私はそう考えざるを得ないと思うし、それでいいと考えている。

表題でも書いているように、絶対的な正義(誰が見ても間違いなく正しいこと)は存在していないと思う。

でも、それでも正義を求めることに人間の美しさや尊さの一面があると思うのだ。

話が少し横道にそれてしまった。

絶対的な正義など存在せず、真の正義の味方は自分が正義の味方でないことを誰よりも自覚しているはずである。

と先ほど書いた。

正義を行って少しでもいい気分になるということは、心のどこかに自己満足や楽しみを求めている自分がいるのだ。

だから正義の味方研究部は一見正しそうなことを自分たちのためにやって満足している集団(部活)

に過ぎない。

やっていることが一見正しそうだから皆深く考えずに批判しない。

反対すると悪だと言われかねないから反論がある人もあけっぴろげには批判しない。

まだ若い大学生だから、正義の味方研究部の考え方や行動が許される。

本作は正義について若者らしい考え方を描いているという点で青春小説だといえるだろう。

正義とは何か考えて、学び取って欲しい。

社会人になって本書の正義の味方研究部でやっていることと同じことを言ったら笑われても文句は言えない。

しかし、私は正義の味方研究部のように理想を掲げるのは間違いだと思わない。

むしろ若いときは理想を掲げるべきだ。

理想を掲げた人間こそ理想に届かないことを知り挫折し、成長すると考えるからだ。

そういう意味では理想に触れ、自分らしく生きようと模索を始めた主人公は、まだまだ成長途中だ。

ただ主人公の最後の章の主人公の行動原理が少し不可解ではある。

もう少し丁寧に分かりやすく段階を追って、最終章での主人公の決意に結び付けた方がよかったのではないだろうか。

描かれた背景も青春小説としてふさわしいものだと思う。

私は正義とは自分の中の価値基準だと思っている。

自分が自分に恥ずかしくないことやれているか、自分で自分を誇れるかを判断する基準だ。

私は、全然自分に誇れることをやっていないのでよく自己嫌悪に陥る。

正義についてどう捉えようと人によって違う。

だから、それを押し付けてはいけない。

本当はその人の正義を理解して議論して互いに異なる価値観を持つことを分かり合うべきなのだ。

偉そうなことを言ったが

私は人と話すのがそんなに得意じゃないし好きでもない。

理想とは程遠いのが現状だ。

でも、それを認めることも成長することなのかなと若造ながら思ったりもした。

なんか正義について書いていたらマイケル・サンデルの「これから「正義」の話をしよう」を読んでみたいと思ってきた。

―感想―

~想像力旺盛な主人公~

このままみんなと同じようにどこかに就職し、そこの同僚とか先輩からもやっぱり今と同じように給料を巻き上げられ、きっと恋愛なんかもせず、絶対に結婚なんてできないまま年をとり、パチンコ通いでできた借金でアパートも追い出され、もう働く気力もなくし、それでも泥棒なんてする度胸もなく、路上で行き交う人の足をぼんやりと眺めながら年を取り、最後には一人、生まれ変わる次の人生を夢見ながら一生を終えていく。(本書より引用)

すごい想像力だ。

この想像力のすごさが多々描写されている。

いじめられっ子で行動するより頭の中で考えることの多かった主人公らしいと思う。

個性が出ていていて良いな。

~努力のない成功なんて普通はない~

世界は不公平だった。もしも彼らが、違う運命に生まれついていたら、タクシー強盗もしなかっただろうし、親殺しもしなかっただろうし、デモをやる必要もなかっただろうし、暴動もしなくて済んだだろうし、エイズで死ぬこともなかっただろう。(本書より引用)

君は正しいんだよ。世の中は不公平だ。そして不公平さの最大の問題はね、絶対的な不公平なんて存在しないことだ。この世の中に絶対的な不公平なんて存在しない。頭も要領も悪くて、家が貧乏でも、東大には受かる。ただ受かりにくいっていうだけだ。その受かりにくさを主張すれば、それは甘えだと言われる。本人の努力が足りないんだってね。(本書より引用)

不公平さって言うのはね、意思と努力の根幹を腐らせるんだよ。馬鹿馬鹿しくてやってられない。馬鹿馬鹿しくて、そんな意思を持ち続けられない。そんな努力を持続できない。それでも、意思次第でどうにでもなった、努力次第でどうにでもなった。そう言われてしまう。そんな理不尽な話があるか。そう言ったって、そういうやつらには通じないよ。やつらは嘘をついているわけでもなければ、自分を誤魔化しているわけでもない。本当に通じないんだ。(本書より引用)

ハッとした。

私は努力次第、意思次第で人生どうにかなると言ってしまう側の人間だと思った。

東大に行く人は確かに環境に恵まれていたかもしれない。

しかし、10年以上かけて目標に向かって努力した人も多いはずだ。

環境は不平等化もしれないが恵まれてきた人たちにも努力してきた時間はある。

だから、今からでも遅くない、差は取り戻せないかもしれないが少しでも差が縮まるよう努力して欲しい。

大学生に努力次第、意思次第で人生どうにかなる。

事実ではあると思うが、うまくいっていない人に「お前は努力不足で意思が弱い。だからうまくいかないんだ。」というのは確かに残酷だ。

なぜこんなことになってしまうのか、

答えは出ない。

でもこのように人生がうまくいってないと感じる人を減らすためにどうすればいいかを考えれば、今後力を入れるべきなのは教育だと思う。

幼いころに勉強をする習慣がついた人はその後も勉強を続けることを比較的苦にしないと思う。

逆に幼いころに勉強をする習慣がつかなかった人は勉強がひどく苦痛に感じるのではないだろうか。

同時に努力した結果、物事がうまくいった。褒められた。という成功体験も重要だ。

成功体験がある人は少しくらいうまくいかなくても、もうちょっと頑張ろうと思うけど

成功体験がない人は諦めてしまう。

せっかく日本には義務教育という制度があるのだ。

一人ひとりに勉強の大切さや目標に向けて継続して努力する力が身につくように導いていってほしい。

間(本作の登場人物、主人公の先輩)の考えは確かに納得できるし気持ちも分かる。

しかし早急に成果を得ようとしすぎだ。

今の社会で資本主義に乗っかって生きていこうとおもうのなら、やっぱり他の人と同様に時間をかけるべきだと思う。

不公平さって言うのはね、意思と努力の根幹を腐らせるんだよ。(本書より引用)

確かにそうかもしれない。でも楽していい思いができことはみんな真似しようとする。

そうしたらそこで競争が生まれてしまう。

結局は努力せざるを得ない。

努力ではなく、生まれてきた環境だけで、一生安泰な人は決して多くない。

間が自分と同じ人間を増やさないために教育業界に進んでくれたらよかったのになと思う。

世の中の理不尽を知っている人こそ、よりよい教育ができるのではないだろうか。

~作者の人生観なのか~

あのとき、僕についていけばよかったんじゃないか。色んな場面で君はそう思う。君には絶対買えないような車をみたとき。家を見たとき。君には絶対手の届かないような女を連れている男を見たとき。君が必ずそう思う。誰も綺麗な人生なんて歩いちゃいない。そういうやつらは、もちろん、それなりのことをして、そういうものを手に入れているんだよ。だけど、君にそんなチャンスはもう訪れない。(本書より引用)

本多孝好さんの著でMOMENTという本でも同様の価値観に基づいた発言がある。

人生でふとした時の後悔や恐怖(MOMENTで描かれる)などの感情を示唆するのは作者の人生観なのかもしれない。

~主人公の父の行動こそ正義の一つの形ではないか~

主人公の父が部下に言いづらいことを言わなければならない状態になったときに、父が決断する。

言いたいやつが言えばいい。俺は言いたくないから言わない(本書より引用)

自分が正しいと思ったことをやる。

それに関する不都合は自分で責任を取ると述べている。

子供みたいな理論だが、自分の思うことをやって、自分で責任を取る。

それでも全然後悔しない。

これは一つの正義の実践ではないだろうか。

~正義の味方部がやっていることは結局自分のため~

法はルールであって、正義ではない。それはわかるんだ。でも、それじゃ正義はどうなるんだって思ってしまう。ルールさえ踏み外さなければ、力のあるものが力のないものを押さえつけても、踏みつけても許されるのかってそう思ってしまうんだ。この世界の中にある、いろんなモヤモヤをモヤモヤのままにしてしまっていいのかってそう思うんだ。俺はそんな世界に住みたくはない。ましてやルールを踏み外したものは許しておけない。(本書より引用)

言っていることは分かる。

でもその判断基準は自分の中にしかないじゃないか。

法律を作ってきた人たちは人々が少しでも平等であるように、不合理に悲しむ人がいないように努力してきたはずだ。

そんな人たちを差し置いて、自分の価値観の方が正しい、正義だというのは法律に携わってきた人への侮辱ではないだろうか。

私も法律を少し勉強したことがあるが、少しでも平等に不当に悲しむ人がいないようにと努力したのだなと感じることがあった。

人類が何千年もかけて積み上げてきたことは馬鹿に出来ない。

馬鹿にするのなら少なくとも法律を学ぶべきだ。

他の正義の味方部員も自分がなぜ正義の味方部にいるのか述べる。

でも結局は全て自分が嬉しい、自分の得になるというのが大前提なんじゃないだろうか。

それは本当に正義なのか、もう一度問い直して欲しい。

―まとめ―

正義の味方として活動していく中で、正義を実行することが本当に自分にとって正しいことなのかと問う作品。

個人的には、世の中には誰もが認める本当の正義の味方は存在しない。

そう考えざるを得ないと思うし、それでいいと考えている。

表題でも書いているように、絶対的な正義(誰が見ても間違いなく正しいこと)は存在していないと思う。

でも、それでも正義を求めることに人間の美しさや尊さの一面があるのではないだろうか。

テーマはそれなりに深いと思うので、もっと丁寧に掘り下げるとより共感を得られる内容になったのではないかと思う。

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