目次
―手に取った理由―
家族が購入していたので読むことにしました。
―あらすじ―
偶然、僕が病院で拾った1冊の文庫本。タイトルは「共病文庫」。
それはクラスメイトである山内桜良が綴っていた、秘密の日記帳だった。
そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて――。(Amazonより引用)読後、きっとこのタイトルに涙する。(本書より引用)
僕とクラスメイトの山内桜良との「仲良し」の関係から物語が発展していく。
―著者―
住野 よる (すみの よる)
高校時代より執筆活動を開始。『君の膵臓をたべたい』がデビュー作(Amazonより引用)
―全体を通して―
~人は皆誰かを必要としている~
あんまり感想書くとネタバレになっちゃうから、ある程度は控えます。
この本で言いたいことは、人は完璧じゃない、皆誰かを必要としているということだと思う。
私は主人公の「僕」寄りの人間だ。
そんな私は生きているって、悪くないなと思ってしまった。
Amazonレビューでは文章が拙いなどの批判がある。
確かに文章は拙いかもしれないが、作者が伝えたいことは十分に伝わっていると思う。
心動かされる良い本だったと感じた。
―感想―
~人生は選択の連続~
違うよ。偶然じゃない。私たちは、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然なんかじゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ(本書より引用)
桜良の言葉である。
人生は選択の連続だ。
今まで起こったこと全てをこんな風に受け入れられる人は強いと思う。
その通りだと薄々感づいてはいるが、これを読んだとき視界が開けるような思いだった。
主人公の「僕」も、気づいているとかどうとかは別として、同じような視界の開けた気持ちだったのではないだろうか。
私は、まだ全ては受け入れられない。
仕方ないのだと諦めてしまうことの方が多い気がする。
でも、自分にとっての不幸は大抵が自分の人間性に起因していると思っている。
そういう意味では自分の性格は自分で決めているから、不幸に関しては自分の選択の責任だと考えていると言えなくもない。
~自分がどう思われているかに敏感すぎる~
正しくても正しくなくてもいいんだ、どうせ誰とも関わらないんだし、ただの僕の想像だから。僕がそう思ってるだけ。名前を呼ばれた時に、僕はその人が僕をどう思ってるか想像するのが趣味なんだよ(本書より引用)
主人公の「僕」の言葉である。
恥ずかしながら私は、主人公の気持ちが分かる。
私も、自分がどう思われているかに過剰に敏感なのだ。
人の一挙手一投足を見て、この人はきっと自分のことをこう思っているだろうと一喜一憂してしまう。
考えすぎだとは分かっている。
そんなに他人が自分に関心がないのも分かっている。
でも、気になってしまうのだ。
主人公の言葉についつい頷いてしまった。
そんな私がブログを書いているのだから人生分からない。
~生命の瑞々しさ~
「生きるってのはね」
「…………」
「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」
命湧きたつ音がした。
……ああ、そうか。
僕は気づいて、鳥肌が立った。(本書より引用)
桜良の言葉に「僕」が心動かされている描写である。
私も心動かされた。
言っていることはそれほど変なことではないのだが、それをあっけらかんと言える心に驚いた。
私は同じように「生きているとはどういうことか」と問われても、決してそんな風には思わないだろう。
彼女の命は瑞々しく、自分なんかとは全然違う生命体なのだろうなと思う。
でも、そう思える人がいることは誇らしいことではないか。
人類にそう素直に考える人がいるということは素晴らしいことではないか。
と私は思うのです。
主人公の「僕」も素直に生きている意味を上記引用文のように語れる桜良を誇らしいとは思わなかっただろうか。
少なくともそんな桜良と仲良くしている自分を誇らしいとは思ったのではないだろうか。
と勝手に想像を膨らませてみる。
~「人生経験」ではなく「人間経験」~
やはり人間経験というものが足りなかったのだろう。(本書より引用)
主人公である「僕」の独白である。
人生経験ではなく、人間経験としているところに、自分が「人間の本来あるべき姿ではない」という想いが見え隠れする。
私も、人生経験だけでなく人間経験も不足しているかもと少し思ってしまった。
―まとめ―
主人公の「僕」と余命いくばくもない桜良の2人の交流を通じて、「僕」が変わっていく物語。
作者は
・人は皆誰かを必要としている
・生きてるって悪くない
ということを伝えたかったんだと勝手に解釈している。
心動かされる良い本だったと感じた。