目次
―手に取った理由―
H29年度高等学校指定図書ということで読んでみました。
その他のH29年度高等学校指定図書として
「ストロベリーライフ」
「犬が来る病院」
も読みました。
古内 一絵 小峰書店 2016-09-24
フラダンスに捧げる青春の1ページ
―あらすじ―
「ようこそ、フラ男子」藍色の垂れ幕が、ホールの後方の壁にでかでかと貼ってあった。天井の高い会場は、お年寄りたちでいっぱいだ。車椅子に座った人や、腕に点滴の針を刺したままの人もいる。その全員が、きらきらした眼差しでこちらを見ていた。自ずと穣の足に力がこもった―。宙彦と動きを合わせ、軽快なリズムに乗って、ステージの床を踏みしめる。 (Amazonより引用)
水泳部を辞めた辻本穣は澤田詩織にフラ愛好会に誘われる。
始めは男がやることじゃないと思っていたが、宙彦と出会い愛好会に入ることになる。
周囲に受け入れられ、だんだんとフラに熱中していく。
愛好会の中で互いに傷つけあったり、軋轢を経験することによりフラを踊る仲間との絆が深まっていく。
被災地の話があって少々重いが、全体としては気持ち良く読める、明るい小説。
読んだ後には爽やかな後味がある。
―著者―
古内 一絵(ふるうち かずえ)
1966年東京都生まれ。日本大学藝術学部映画学科卒業。第五回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年『快晴フライング』(ポプラ社)でデビュー。その他の作品に『風の向こうへ駆け抜けろ』『痛みの道標』(ともに小学館)、『マカン・マラン—二十三時の夜食カフェ』(中央公論新社)『花舞う里』(講談社)などがある。(本書より引用)
―全体を通して―
~フラダンスに捧げる青春の1ページ~
主人公は事件を客観的に見る立場にある。
本人が事件に巻き込まれるということはないが、話が進むにつれ男子グループのリーダーとして頭角をあらわしてくる。
ある事件で傷ついた仲間のための行動も主人公の発案だ。
これまでそんなことを深く考えたことはなかったけれど、もしかしたら自分は、馴染みのないものを無意識のうちに切り捨てるようなところがあったかもしれない。(本書より引用)
と感じていた主人公の視点や交友関係はフラダンスを通して広がっていく
別にどこかに出ていかなくても、意外なところに世界を広げるヒントは隠れていたのかもしれない。(本書より引用)
どこの町の出身か、どこに住んでいるのか、両親はなにをしているのか、以前なら気軽に聞き合えた質問を、同じ福島県に住む穣たちはできなくなってしまっている。
互いの過去の重さの予測がつかないからだ。(本書より引用)
同時に被災地で互いに大なり小なり暗い過去を背負い、他人に踏み込めなくなった少年少女たちを描く。
中には踏み込んでしまったが故にお互い傷つけあってしまうこともある。主人公も世界が広がる過程で同じように他人の傷を見てしまう。
穣だって、誰の気持ちにも気づいていなかった。
そして、多分、他のみんなも。誰も、他人の気持ちには気づかない。気づきたくても、気づけない。(本書より引用)
しかし、それらを乗り越えて主人公たちは前に進んでいく。
被災地の話なので少し重い部分もあるが、全体的に気持ちよく読める。
フラダンスのイメージが本だけでは理解できなかった(特に「キィィィィエェェ」などの叫び声がフラダンスに組み込まれているとは知らなかった)ので動画を探してみた。
下の動画が穣たちの踊るフラに近いのではないだろうか。
男女の混合のフラダンスは下記
男女でアクロバティックなことをやっている動画は見つけられなかった。
―感想―
~居場所を見つけた主人公とリーダーの姿~
リーダーとはどうあるべきか。
様々なハウツー本が出る昨今である。
本書ではリーダーにふさわしいのは、
一番弱い人のことまでちゃんと考えられる人(本書より引用)
と述べられている。
一つの答えだろう。
穣が水泳部を辞めたのは水泳部が選んだ組織の形が穣の思い描くものと違っていたからだろう。
だから居心地の悪さを覚えた。
穣は弱い人のことを考えられる人だったからだ。
しかし、フラ愛好会で必要とされているのは穣のような人間だった。
穣が知らず知らずのうちにフラダンスに熱中していったのもその組織の風土が自分に合っていたからかもしれない。
弱い人のことを考える詩織が引っ張る組織だからこそ居心地がよかったのだ。
本当のリーダーになれるのは、一番弱い人のことまでちゃんと考えられる人だもの(本書より引用)
この言葉を聞いたとき穣は自分の居場所を見つけた。
自分はここにいてよかったという思いを噛みしめたのではないだろうか。
~目指すのはオハナ~
本書によるとフラダンスではフラダンスを踊る仲間をオハナ(家族みたいな仲間)というらしい。
穣たちはフラダンスを通して相手の苦しみや悲しみを知り、それでもお互いに手を差し伸べあうことを選ぶ。
本当の意味でオハナになろうとすること、オハナになることを穣たちは選んだのだ。
つらい気持ちも、変わってしまった町のことも、どうにもできない自分自身のいらだちも、もっと率直に言葉にすべきだった。妙に気を遣って口をつぐんできたのは気遣いじゃなくて怠慢だ。だって、どんなに頑張ったって、他人の気持ちはやっぱり分からない。
悔しいけれど、俺たちはそれほど万能じゃない。
なにも話そうとしないのに、分かってもらおうとするのも、ただの甘えだ。
そりゃあ、話をするのは疲れるし、嫌な思いだってするだろうし、ときには諍いにもなるだろう。
でもそれを乗り越えるのが、オハナ(家族みたいな仲間)ってもんじゃないのか(本書より引用)
―まとめ―
水泳部を辞めた辻本穣は友人と出会い、フラダンスを始める。
被災者や仲間の過去を知って傷ついたり、部内での軋轢を経験するも主人公たちは前を向く。
被災地の話があって少々重いが、全体としては気持ち良く読める、明るい小説。
読んだ後には爽やかな後味がある。
古内 一絵 小峰書店 2016-09-24
フラダンスに捧げる青春の1ページ