目次
―手に取った理由―
H29年度高等学校指定図書ということで読んでみました。
その他のH29年度高等学校指定図書として
「ストロベリーライフ」
「フラダン」
も読みました。
―あらすじ―
「わたしの病院、犬が来るの」それは、子どもたちへのすばらしい贈り物だった。日本で初めて小児病棟にセラピー犬の訪問を受け入れた医療機関、聖路加国際病院。入院中であっても子どもたちが豊かな時間を過ごし、困難を乗り越えていけるように、医師や看護師、保育士、心理士、チャプレン(病院で働く牧師)等多くのスタッフたちで行われる取り組みを、4人の子どもたちの生死を通して描いた感動の記録。 (Amazonより引用)
犬が来る病院とのタイトルだが犬の訪問が描かれている場面は少ない。
犬を治療のために用いるという日本では特殊な聖路加国際病院の、トータルケアの取り組みを描いた作品であると思う。
亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、命のバトンを託された若者たちの今後に期待したい。
―著者―
古内 一絵(ふるうち かずえ)
1960年生まれ。上智大学文学部英文学科卒業。パレスチナ民衆蜂起、湾岸戦争などの国際紛争の取材を経て、死と向き合う人びとの生き方、自然や動物との絆を活かして、罪を犯した人や紛争後の社会を再生する試みなどについて執筆。『さよならエルマおばあさん』(小学館)で、2001年講談社出版文化賞絵本賞、小学館児童出版文化賞受賞。『<刑務所>で働く盲導犬を育てる』(岩波ジュニア新書)『地雷のない世界へはたらく地雷探知犬』(講談社)『いつか帰りたい ぼくのふるさと福島第一原発20キロ圏内から来たねこ』(小学館)など著書多数(本書より引用)
―全体を通して―
~命の重さに向き合う~
命は重い。
自分の命が残るか尽きるかは必ず周囲の人に影響を与える。
ましてや自分の子供が自分より先に死んだら親は一生背負い続けなければならない。
その道は長く、険しい。
東野圭吾の「虚ろな十字架」では子供が殺された両親が、2人でいると幸せだったころを思い出すからと言って離婚する。
離婚を選ぶ夫婦がいるのも分からない話ではないなと思った。
本作は右も左も分からない子供が病気を経験する中で成長し強くなっていく姿と、その子供たちから命のバトンを受け取って未来を生きていく子供たち。
この2種類を描いている。
無事退院した子供の一人がこのように語る
医者になりたいと思うのは、医者なら治療のすべてを見られるから。命を救うのはもちろんだけど、たとえ助けることはできなくても、最後まで全部見たいんです。それができるのは医者だと思うから…(本書より引用)
強いなと思う。
私は人が苦しむ姿、死んでいく姿は見たくない。
私が医者を目指すとしたら人を救いという思いだけでネガティブな部分には目を向けないだろう。
人が病気と闘う姿すべてを受け止めたいというのは簡単に言える言葉ではない。
中学生にも関わらず、相当に医者になることに覚悟を持っているのだなと感じた。
また、実際に辛い病気を経験した人にしか言えない言葉だなとも思った。
犬が来る病院とのタイトルだが犬の訪問が描かれている場面は少ない。
犬を治療のために用いるような聖路加国際病院のトータルケアの取り組みを描いた作品であると思う。
亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、命のバトンを託された若者たちの今後に期待したい。
―感想―
~子供は子供たちの中で成長する~
自分よりもっと大変とか、大変さを比べるんじゃなくて、がんばっている子たちがいる。そのことで自分が励まされたというか、もっと自分もがんばらなくちゃって思えたんですよね(本書より引用)
子供は子供の中にいるから、同じようにがんばっている人を見たり、同じ悩みを抱えている人を見たりして刺激を受ける。
本書ではどんなに遊び上手な大人がいても周囲に子供がいなければ教育上よくないと書かれているけれど、その通りだなと思った。
常に正しいことだけを提示されるのでは人は成長しない。
常に道を切り開いてくれる大人の側では子供は成長しない。
人は間違って、悩んで成長していくものだ。
人間の成長という話で青春小説の「黄色い目の魚」という作品を思い出した。
~ちょっとしたことで人は傷つく~
何週間リハビリを続けても車椅子への移乗ができるようにならず、あせりがピークに達していたある日。理学療法士の「なんでできないかなー、こうだって言ってるよね」という一言が、グサッと胸に突き刺さった。(本書より引用)
子供は繊細だと書こうと思ったけど、ちょっとしたことで傷つくのは大人も子供も関係ないと思いなおした。
大人だってちょっとしたことで傷つく。
ただ、子供の頃の傷は大人になっても、ちょっとしたことで思い出しやすいのかもしれない。
そう考えると子供はあまり傷つけたくないと思ってしまう。
大人だと相手の気持ちを推し量って仕方ないなと思えることでも、子供は純粋だから真正面からその言葉を受け入れてしまう。
しかし、仕方ないと思っているのは誰かを傷つけ、誰かに傷つけられてきた証拠でもあるのだから、子供時代に全く傷つかないというのも問題だとは思う。
だが、あんまり深く傷つけると子供の成長や挑戦心に悪影響を及ぼすかもしれない。
子どもと向き合うのは本当に難しい。
私も子供と接する仕事をしているのだが、子供を全く傷つけないということはできてないんじゃないかと思う。
むしろ、あの事で傷つけたんじゃないか、ああすればよかったんじゃないかと後悔ばかりだ。
人が人を全く傷つけないなんて不可能だ。
ある程度は仕方ないと割り切るしかない。
せめて、自分は他人を傷つけているかもしれないということを心に留めておこう。
今の自分にはそれしかできない。
~患者に感情移入しすぎると自分が壊れてしまうのでは~
聖路加病院のスタッフはみんな優しく、子供に尽くしている。
でも、そんなに子供に感情移入して大丈夫なのだろうか、その子供が死んだとき自分も取り返しのつかない傷を負ってしまうのではないだろうか。
それだけ深く寄り添うということは、失ったときの悲しみもまた深いということでもあります。小児がんの子どもたちの医療やケアを担う人びとは、常にそのことと隣り合わせです。自分の心を守り、バーンアウトを予防するためには、どこかで一線を引くしかないのでは…そんなふうにも感じました。(本書より引用)
私もそう思う。
バーンアウトとは自分の心が壊れてしまうことを意味しているのだろう。
それに対し小児科医はこう答える。
「受け持つ子への愛情の深さ、これが主治医としての経験値を高めてくれる、そんな気がしています」
もう聖人みたいな回答。
私なら子供に感情移入しすぎて自分の心が駄目になってしまうと思う。
先生は強い。
小児科医になる人は優しさと同時に強さも併せ持っていなければならないのだなと感じた。
小児科医は忙しいし、子供を相手にすることから人気がないと言われている。
小児科医は何か強いモチベーションがあって小児科医という道を選んでいるのだろう。
この本を読んで小児科医は尊敬できる職業だなと改めて思った。
―まとめ―
犬が来る病院とのタイトルだが犬の訪問が描かれている場面は少ない。
犬を治療のために用いるような聖路加国際病院のトータルケアの取り組みを描いた作品であると思う。
亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、命のバトンを託された若者たちの今後に期待したい。
一つ気を付けたいのは今回のエピソードはたまたま抽出されただけで、もっと多くの患者にそれぞれのドラマ・ストーリーが存在するということだ。
それぞれの人が病気を通して何かを学んでいく。
病気は悪い側面だけではなく、ポジティブに捉えることもできるんだなと感じた。